햇살같은 널 좋아서 그래

しがないオタクの、想いを綴る場所です。

365日の、陰と陽

突然ですが次に私が更新するブログの前置きとして、この1年を振り返りたいと、思います。 この1年で古謝くんを応援している私がどのように感じていたか、を覚え書き程度に振り返らせてください。 担タレなのでものすごく長くなります。

本日2018年7月20日古謝那伊留くんがかんじゅ日誌を更新しました。そこに記されていた彼の気持ちを受けて私がやりたいと思ったことは、とにかく思いをここにぶつけることだったので、破茶滅茶な文章になると思いますが、心のままに綴らせてください。 まずは長編大作となる、ただの記録です。一番伝えたいことは次の記事に書きます。

本当に、今日、ちょうど1年前って何をしていたっけ?なんて考えていたのですがちょうど1年前は関ジャニ∞さんのドームツアー ジャムの大阪公演の初日でした。

ジャムにツアーバックとしてつかせてもらうことがはっきりと分かったのは、ツアー初日7月15日でした。

前々から噂はあったものの、今更またジュニアをつけるのだろうか?など各所で疑心暗鬼の声があがっていたし、これはファンのエゴなのですが松竹座で会いたい気持ちが強くあり、噂であってほしい……と思っていました。

でも実際本当にポスターにはいないし、ツアー1週間前には新大阪駅での遭遇もあり、ああ、本当なんだなとどんどん真実が見えてきたので受け入れるしか、ないよね。

そんなふうに考えていました。

1年前、京セラドームに色々な気持ちを抱えて向かった日のこと、すごく覚えています。でもやっぱりどの気持ちよりも大きかったのはだいすきな古謝那伊留くんに会える、というドキドキとワクワクでした。

今も覚えているのは、関ジュが出てくる前、MCが終わり 関ジャニ∞の皆さんが 奇跡の人 を歌い始めた時すでに私の心臓は高鳴っていたこと。

ツアー中もよく友人に話しては笑われたのですが、この曲が始まり、後半に向けての諸注意の映像が流れ始め、JAM LADYが始まるまでの時間はまるで 校舎裏に好きな人を呼び出して人生初の告白をする くらい心臓が破裂しそうだったんです。

いや、人生においてそんな経験一度もないんですけど、例えるならこの状況がベストだと当時の私は思っていましたし、今もそのような感覚であると思っています。

話が脱線しました、失礼しました。

正直、私は 古謝くんにとって毎年夏に松竹座に立てることっていうのは彼を構築する自信の柱のひとつだと思っていたので、そこを離れて仲間たちと別のステージに立つということに対して、漠然と不安を感じていました。

でも、どうでしょう?JAM LADYのイントロが流れて舞台の上手から出てきた水兵さんの衣装に身にまとった古謝くんは私の想像の何倍も、いや、何百倍も輝いていて夏の太陽も顔負けの笑顔でステージに立っていました。

ああ、これ、これだよ!この姿に会いたかったんだよ私は!

ただただ、嬉しかったです。

これなら松竹座に立てなくても仕方ない。だって最高に大きな輝ける舞台じゃないか!全然不安なことなんてないし キラキラ輝く未来しか見えないし、なんなら 今が大事じゃないか。そう思わせてくれたのがその日、私が見た古謝那伊留くんの姿でした。

もっともっとこの姿を見ていたい。素直にそう感じることができたし、最高の夏を古謝くんと過ごしたい!それ以外に思うことは何もないよ〜なんて思ったし、死に物狂いでチケットを探しました。

私のオタク人生であそこまで必死にチケットを探したことは初めてでした。毎日チケツイを見て、チケツイをして、数え切れないくらいのリプやDMを送って。

こんなにも本気にさせる古謝くん、最強だなあ。大好きだなあ、なんて最高にフワフワしていました。

大阪で見た姿は、新鮮でキラキラしていてかっこよくて。名古屋で見た姿は、ここに立たせてもらえるありがたさを再度噛み締めちゃうくらい温かくてふわっとした笑顔に包まれていて、東京で見た姿はギラギラに熱くて火傷しそうで、福岡で見た姿は夏の終わりを感じさせながらも大嫌いだった夏を大好きにさせてくれた、この夏の思い出全部全部がぎゅぎゅっと詰まったような、弾けるものでした。

ジャムのツアーバックとして全国を回る古謝くんの笑顔は見るたびに輝きを増していて、ジュニアだけの時間を設けてもらい、その時間を使って各々の個性全開で客席のボルテージをあげる姿は誇りでした。

そしてこの夏で忘れてはならないのは、エイトバックのメンツで出させていただいたA.B.C-Zさんの5周年コンサートの大阪公演です。

去年、ダンス留学へと行っていた同じ関西ジャニーズJr.の先輩、林真鳥くんが帰ってきて、最初の夏だったこともあり、勝手にこの夏には期待していたところがありました。

真鳥くんはどんなスキルを身につけて日本に帰ってきたんだろう?真鳥くんからどんなことを教えてもらっているんだろう?期待に胸を膨らませて向かった大阪城ホール

そこで見た古謝くん、そして仲間たちのダンスは圧巻でした。いつも、見るたびに、少しずつでも成長していっている事がわかるのが、私の大好きな古謝くんだったのですが、素人目で見ても、とびっっきり上手くなっているのが分かる素晴らしいダンスでした。息をすることも忘れて、ただただ見入ってしまったし、終わった頃には興奮で胸が熱くて熱くて……

えっ、こんなにもかっこいいダンス、ここにきている人しか見れないのはもったいない。全国とは言わなくても、松竹座に来て関西ジャニーズJr.を応援している人たちには絶対に見てもらいたい。

心からそう思いました。

秋は、長居競技場で行われた陸上大会にて炎の体育会TVの収録があり、そこで上田ジャニーズ陸上部の注目選手としてまたバトンを握る姿に胸を打たれ。

次の機会までにダメだったところを練習して、勝利を掴みとってほしいなあ……なんて考えたりして。

冬はどんな姿を見せてくれるんだろう。冬は格段にレベルを上げたダンスを松竹座に持ち帰って、寒さなんて吹き飛ばすステージを見せてくれるんだろうか……

こんな曲やったらかっこいいんじゃないかなあ、こんな曲やったら嬉しいなあなんてまだ分からない12月のことを考えながら松竹座公演のお知らせを待ちました。

2017年10月6日 夕方

遂に、その時は来ました。

『関西ジャニーズJr. X'mas SHOW 2017』のお知らせ。

過去に戻れるのなら、輝かしい冬のお知らせだよ〜嬉しいなあ、なんて考えてウキウキしながらメールを開いた私に 覚悟すること と教えてあげたいです。そんなの甘えなんですけど。

メールを開いてびっくりしました。公演ごとに出演者が違うことも分かる。そしてその公演に出る主な人物の名前も分かる、分かるんだけど、ありそうなところに大好きな人の名前がない。

メール本文の隅々探しても見つからない、そんなはずない、そう思って情報局にログインして公演詳細にもアクセスしました。ない、ない、ない…………

目が回る っていうのはこういうことを言うんだ、って体感したのはこの日でした。目を開けてまっすぐ座っているのに、視界が、世界がぐるぐると回っている感覚でした。悔しくて悔しくて、悲しくて、涙が止まりませんでした。

でも、一番辛いのは本人だ 古謝くんを応援したい、辛い時こそ支えたい。私なんかの思いが、どれほど力になるかなんて全然分からないけど、私だけでも前向きでいないと。そう思って自分の弱い気持ちを奮い立たせました。

もしかしたらいるかもよ?なんて冗談めかしてお話ししたりして。

メールを受信したあとはチケットを申し込んで、その時を待つばかりでした。

それに、同じ時期にジャニーズWESTさんのツアーも発表されて、そこではきっと会えるんだから、そう言い聞かせていたし、それが支えでした。

でも、人生そう甘くはなくて、松竹座公演の当落が出て、チケットを手にして待っている最中あるメールが来たのです。

『関西ジャニーズJr. Concert2018 決定』

なんと年明けに大阪城ホールで関ジュの単独公演をすると……

嬉しかったです。だってそれは大好きな古謝くんが2017年の目標として挙げていたものの1つだったから。

でもどうでしょう?日程がジャニーズWESTさんの横浜公演と被っているではありませんか!

頭が痛くなりました。心が苦しくなりました。

前を向かないと、そうは言っても不安な気持ちが消えた日なんて1日も無かったし、辛いと感じていました。

そんな中、心の拠り所だったのはジャニーズWESTさんのツアーという場所だけだったのです。

だから、その希望の場所すら、出るのか出ないのかどっちなのか分からないなんてそんな苦しいことはなかったですし、本当に毎日見えない未来を見て過ごすことが辛かったです。

自分の目で確認したい、その思いを胸に向かった松竹座兄組公演初日。きっとそうだろうなんて思いながらも、やっぱり淡い期待は捨てられずにいたから、実際に幕が開いて、本当にいないんだってことを理解することに時間がかかったし 理解してからは、楽しいはずのコンサートが苦しいだけの時間でした。逃げ出したい、どこかへ消えてしまいたいと思ったりもして。

この曲に古謝くんがいたら……?そんな考えが止まらないし、いないと分かっていても姿を探してしまって苦しかったです。

次世代公演にももちろんいるわけはなく、そのまま12月は進んでいきました。

私でさえもこんなにも悔しくて仕方ないのだから、本人はきっとこれ以上の気持ちを抱えているだろう。どんなことを感じているのだろうか。苦しいだろうか。

誰に聞いても出ない答えを探し、真っ暗なトンネルの中で彷徨っていました。

でも、少し答えが見えた気がしたのは、古謝くんが次世代公演の見学に現れた時です。兄組は行かなかった、ということは何か思うことがあるのだろう。そう感じました。

その感じた何かを、胸にしっかり刻み、どんなに今が苦しくても輝かしい未来を描き、努力し、掴み取ってほしい。そう願いました。

年は変わり2018年。新しい1年が始まりました。正直、こんだなに苦しくて悲しい気持ちを抱えたまま見る新しい日々なんて全然楽しみじゃないし、気持ちが重かったです。

でも、その日はすぐにやってきて、あっという間にあけおめ初日当日になりました。前回の記事にも書きましたが、こんっなにも明るい世界が待っているなんて思っていなくて、ああ、信じてきてよかった。嬉しいな、幸せだなあ!あけおめなんて楽しみじゃないと思ってたけど、早く始まってほしくてたまらないなあ!なんて思ったし

元どおりに、笑えて、だいすきな古謝くんのお話をできていることが嬉しくてたまらなかったです。

でも期待しすぎていた私は、5人の写真が大きくモニターに順番に出た後に3人まとまった写真を出された時、既にすごく悔しかったです。どうしてこんな纏められ方しなくちゃいけないの?そう思いました。

でも、いざステージに古謝くんが現れたら、最初はなにも気にならなかったし、9月ぶりに見るだいすきな人がかっこよすぎて胸がぎゅうっとなって高鳴って。幸せだなあ……そう感じていました。

出番少ないなあ……そう思ったりしたし申し訳ないけど古謝くんが全てだった私にとっては暇だ、と思う時間が多かったです。次はいつ出てくるんだろう?なんて考えて。MCなんて飾りのように立たされてるだけ。

古謝くんは、みんなの会話を聞いて反応したり細かい芸を見せて楽しませてくれようとしてて、かわいいけど、その気持ちが嬉しいけど、なんっにも楽しくないのにって思ってしまった。古謝くんの声も聞きたい。そう思っていました。

正直本編全部通して、満足するとこなんてほぼなくて、ついさっきまでは会いたい気持ちだけでいっぱいで、会えたことだけで嬉しくて幸せで胸いっぱいだったのに、始まって時間が経つとそうやって考え出してしまうことが苦しかったです。

でも、その中でも、10人が見せてくれたノスタルジアとDance in the darkは本当に本当に本当にかっこよくって、贔屓目しか無いのかもしれないけど、正直全部の中で一番かっこいいパフォーマンスだったと感じました。

そして、古謝くんが経つ場所があるなら見届けたいと思い、全公演古謝くんのことを胸に、記憶に焼き付ける、そして古謝くんが魅せてくれるものを全部で受け止める。それだけのために行こうって思いました。

初日はまだ、そこまでモヤモヤもなく終われたのですが、次の日の昼公演を見てその気持ちは変わりました。

最初の曲から古謝くんが全然踊らないんです。なんで?昨日は踊ってたのに、どうして?

ただ心配で、不安で、苦しかったです。この一晩で何を思ったんだろう。実際ステージに立ってなにを感じているのだろう?

ついに視点が定まらなくなりました。カメラではないどこかを見ていて、見せ場ですらどこかへ行ってしまいそうな儚さがありました。でも力強さも感じる………

余計なことを考えないようにしているのだろうか、と、有る事無い事考えてしまうくらいがむしゃらに踊り、ステージを駆け回る姿も見て、ぎゅうっと目を瞑ってマイクを握りしめて祈るように歌う姿を見て、古謝くんがきっと、何かたくさんのことを考えてそこにいるんだ って事だけはバカな私にも分かりました。

あけおめが終わった後は、気持ちも晴れず、何もかもが嫌になり、辛くて。何もできないことがもどかしくて。

光が射したと思ったのに、また振り出しかな……なんて考えたりもして。

でもそんなこと言ってられません。すぐにWESTivalツアーの福岡公演はやってきます。横浜で代わりとなる関東の子たちを付けてくれたのでその希望はありました。むしろ、その時の私にとってはそれしかなかったです。

いざ迎えた、当日。その日はとても大切な日でした。

古謝那伊留くんの24回目のお誕生日でした。

素敵な日なんだし、きっと会えるんだし、不安な気持ちなんて捨てて今日を楽しもう。そう思ってはいても、ついマイナスに考えてしまうし、会場に向かうタクシーなんて緊張のしすぎで、もう息を吸ってんのか吐いてんのかも分からなくなっていました。

公演が始まって、二曲目の浪速看板息子が始まる前、祈りを込めて団扇を握ったことを覚えています。

肉眼でメインステージを確認できる場所にいたのですが、曲が始まって、お神輿を担いだだいすきな人のシルエットが暗闇の中に現れた時は言葉に表せないくらい嬉しかったです。

そしてその瞬間、古謝くん以外の全ての世界がシャットアウトされたみたいになって、古謝くん以外誰がいたのかすら分からなかったことを覚えています。

嬉しそうに笑いながらステージを駆け回って、全力で踊って楽しませてくれている様子を今も忘れることができません。いや、きっと、ずっと忘れません。

重岡くんが最後の挨拶で、

「早くみんなでツアーやりたかったよね?!」と言いながらステージを見渡した時、古謝くんは首がもげちゃいそうなくらい勢いよく何回も何回も頷いていました。

そして本当に今この瞬間が嬉しいんだ、その気持ちが伝わってくる眩しい笑顔で笑っていました。

言葉はなくても、それが彼の胸に秘めていた大きな大きな気持ちだったんだと思います。

その後、更新されたかんじゅ日誌で古謝くんは、さまざまな舞台の見学エピソードなどを話してくれましたが、松竹座の公演について触れなかったり、あけおめの事も話してくれましたがあけおめに関して「楽しかった」とは言わなかったのに対して、ツアーは「すごく楽しい」と話してくれた事から、正直だなあ。と感じたりしていました。

でもそれを感じられたのはそれを読んだ全員ではないと思いますし、ちょっと遠回しだと思ったので、素直に言葉にしてもいいんだよ。とも思いました。

ツアー中の彼らが眩しすぎて、ちょっと平和になりすぎていた私の気持ちをかき乱す出来事があったのが、4月の頭です。

情報局から届いた 滝沢歌舞伎 御園座公演のお知らせ。

そこには関西ジャニーズJr.の出演のお知らせと共に、選ばれた6人の名前が記されていました。

悔しかったです。古謝くんもきっと、そのために黒く染めたんだろう、みんながそう思ったと思います。

でも、選ばれなかった。もう決まったことだし、私たちにも、そして彼にもどうすることも出来ないけど、どうしたって悔しくておめでとうなんて言えなかったです。

まだまだ子供なので、この一年、他の子たちを応援する友人たちにも心からおめでとうを伝えられたことがないです。本当に本当に悔しくて仕方なかったんです。

それと同時に、古謝くんにも活躍する場所はまだまだあるはずだ、だけど滝沢歌舞伎はその場所ではなかったんだ。どこかできっと、絶対、古謝くんにしかできないお仕事をつかみ取れる、そう信じる気持ちも生まれました。

その後すぐに、ツアー広島公演があったので古謝くんが元気かどうか、心配でした。古謝くんは良くも悪くも全てお顔に出るタイプなので、作り笑顔を見るのは辛いなあと思いましたし、当日本人を見るまで心配は無くなりませんでした。

でも、その心配とは裏腹にすごく楽しそうに笑っていたし安心したのですが、最後の挨拶で末澤くんに対して歌舞伎おめでとう〜との言葉があった時、古謝くんから笑顔が消えました。

瞬間の出来事なのですが、見逃しませんでした。気持ちが悪くてごめんなさい、でも大好きなんだもん。当たり前に心配します。

悔しかったね、悔しいよね、頑張れ、チャンスを掴もう。

古謝くんなら大丈夫だ。

そう信じていた最中、ツアー中2つ目の悲しい出来事が起こりました。5月発売の前半誌の詳細が出た中に、古謝くんの名前がありませんでした。

正直、この不安定な状況に置かれてからは雑誌が支えなところがあったので、心の安定剤が無くなったような感覚になりました。大丈夫、大丈夫。そう思わせてくれていたものが無くなって、ぽっかりと心に穴が空いたようで。

涙が溢れて止まりませんでした。

そして迎えたツアー最終日。前回の記事にも書いたように、古謝くんを応援するには必要のないような黒い、よくない気持ちを抱えていた私がそう願うのもおかしな話かもしれませんが、終わらないで、と何度も願いました。

でも終わってしまったツアー。

雑誌もラジオもない。5月31日の日誌以外で古謝くんを知ることはなかったです。

見学や遭遇情報でしか知ることができなくなりました。

6月にはそれすら減ってきて、出ていてほしい。そう願った人も多かったであろう、キスマイさんの京セラドーム公演にも出ることはなく、見学にも訪れませんでした。

どこにいるの?元気にしているの?

どんな思いでいるの?毎日不安で心配で、かんじゅ日誌が回ってくるのかも分からず、毎日頻繁にwebを確認しては古謝くんのことを考えました。

そんな日々を過ごして、勝手に苦しく思っていたのですが、ついに、本日、古謝くんの日誌の順番が回ってきました。

そこで、私がどう感じたのかは、次の更新でお話しさせてください。すぐにお話しします。

とても長くなりましたが、これは、1人の古謝くんを応援するものがこの1年間何を感じ、どう過ごしたかを思い出した順につらつらと書き綴ったものです。

読んだからといって何か起こるわけでもないです。ただ、こう感じていた、ということを残しておこうと思った。それだけのことです。

長々と失礼しました。

キミが太陽ならば、

文章を書くことが好きな私だけど、私なんかには烏滸がましいと少し、いえ、随分と距離を置いていたはてブロというものを書いてみようと決心をした事には大きな理由があります。

私の24年間の人生で一番の愛情と情熱をかけて応援をして、そして心の底から大好きだった、いえ、大好きなアイドルから去ろうとしたことをきっかけに、彼への想いなんかを私なりの言葉で綴ってみようと考えたことがきっかけです。

そんな決心をさせてくれた人の名前は、

関西ジャニーズJr.の古謝那伊留くんといいます。

私は、彼を好きになったきっかけとやらをはっきりは覚えていません。貶しているわけではなく、私の好きなタイプの感じのお顔ではないので、こういうお顔の子もジャニーズにいるんだなあ……くらいの気持ちで見たことが始まりでした。

あれ?この子すごく頑張り屋さんだな、力一杯踊るなあ、不器用なんだなあ、すごく気配りのできる子だなあ、あれっ笑顔なんかとびきりかわいいじゃん!そういう小さな発見の積み重ねで、当時気になっていたアイドルの存在なんて、瞬足ボルトさんより早く抜き去り、気づいたら私の心の中心にいました。

興味津々で初めて訪れた松竹座では、頑固な私は、いやまさか私が古謝くんは違うと思うよ……って言い張ってて、絶対古謝くん担にはならないよって自分で友人にも伝えていたし、そういう自信もなぜかありました。

でもどうでしょう?始まってみると目が古謝くんばかりを追ってしまい、古謝くんが見せてくれるものを心から楽しんでいて、終演の頃には古謝那伊留くんで頭がいっぱいだったんです!

誰も予想していない出来事でした。

何なら、頑固な私はまだ認めようとせず、いやそんなことはない、何かの間違いだよ!って笑ったりなんかして。

時が経てばこの気持ちも忘れるよって思っていました。

甘い、甘すぎた。

その後も松竹座に行った友人から古謝くんのお話を聞いては胸がときめき、彼のことを知るたびに世界が輝いて行くようで、ワクワクしました。

気づけば彼のことで心も頭もいっぱいで、彼中心の日々が始まりました。

初めてしっかりとお手紙を渡し気持ちを伝えることができた。その時のウキウキした気持ち。今も忘れません。

初めて配色を一から全部こだわり抜いてお金も時間もかけて、愛を込めて作りあげた 『古謝くんを応援するための団扇』

今までは、いつも親とセットでオタクしていたので親と一緒に全ての準備はしていたのですが、古謝くんに出会ってからやっと自らチケットを取り、宿や交通を手配したりするようになりました。

私のオタク人生が全て変わっていくのが面白くて、楽しくて、こんな世界あったんだって。

松竹座で輝く姿も、松竹座を飛び出して先輩のステージのバックとして全力でステージを盛り上げる姿も、同じ人なのにいつも違った魅力で溢れていて、会うたび、知るたびに好きにしかならなかったです。

古謝くんにやっと全国ツアーに連れて行ってもらった時、嬉しかったんです。団扇を持つまでには少し勇気が必要で、でもどうしても知って欲しかった。貴方のことを応援したいと思った新しいファンがここにもいるということを。

その思いを胸に向かった土地への光景や、その日のことは時間が経っても今も鮮明に私の胸に刻まれていて一度も色あせたことはないです。

そして、大好きで仕方がない 古謝くんが 私の団扇を初めて見てくれた時の表情も1ミリも色褪せることなく、私の記憶に焼き付いています。

それまでデビュー組のオタクをしていたので、同じようで同じではなかったし、ジュニア担になる日が来ることも想像していなかった人生だったので。直接この距離で応援が届く瞬間というものは感じたことがなかったのです。

そしてその時の笑顔を見て、こんなにも眩しく笑ってくれるなら、そして、こんなにも楽しそうにステージで輝いていてくれるなら、その場所を私も守っていきたい。そして彼が夢見る場所全部に一緒にいきたい。そう思いました。

当時大学生だった私は、大阪から離れて暮らしていて、家族からも離れて暮らしていて大丈夫だとは言っても、やはり心に穴があったんです、ぽっかりと。寂しく感じていた事が数え切れないくらいありました。

そんな沢山の穴を一気に、埋めてくれたのも古謝くんで、古謝くんを応援するって心に決めた日からは世界がまるで違って見えて、キラキラしていました。カラフルでした。

極度のマイナス思考だった私を古謝くんは、その存在で照らしてくれました。

私も笑ってていい、前を向いていていい、そう思わせてくれた存在でした。大袈裟に聞こえるかも知れませんが、本当に本当に大きな存在でした。

古謝くんのことが大好きで、自分も頑張れている時は本当に毎日が充実していて明るく笑えて、全ての意識が益々高まって何事でも頑張れました。

それまでも好きだった美容やファッションにも益々興味が出て、それに特化した人になりたいと思わせてくれたのも古謝くんでした。背中を押してくれるような存在でした。

いつも沢山のパワーを貰ってばかりではなく、同じくらい、いや、それ以上の気持ちをお返ししたい。その一心で古謝くんを応援してきたし、古謝くんの笑顔を見たくて沢山の場所に足を運びました。

実際にツアーを重ねる度に、行ったことのない土地を訪れたり、行ってみたかった会場にも連れて行ってくれる古謝くんは世界一かっこいい私のだいすきな人!そう思っていました。 初めて見る景色には必ず古謝くんが一緒にいて、それが嬉しくて堪らなかったです。

古謝くんからは前向きな気持ちも沢山教えてもらったし、大切なお友達にも出会わせてもらって…本当に感謝しかないなあといま考えてもその気持ちは変わりません。

そして今も、古謝くんへの大好きや応援したい気持ちは変わっていません。

なのに何故、古謝くんと距離を置こうと思ったか……です。

古謝くんは、本当に真面目で努力家で、自分のためにも、他人のためにも努力のできる強い人で、どんどん新しいことを吸収していくし、いつだって前の自分を越えていくことが目標で、会うたびに知らない姿を見せて魅了してくれる。

ダンスだって最高にかっこよくって、時たま神が舞い降りたかのように面白いし、笑顔が眩しすぎるし(無理してる時は分かっちゃう)、いい意味でも悪い意味でもわかりやすいし、好きなものへの愛情はとびきりアツイ。

いつも新しいことにチャレンジしていく姿勢、型からでも口だけではなくまず挑戦できるところ、自分の大切な人は沢山の愛で包み込んでくれる。

真っ直ぐすぎるキラキラな瞳、ちょっとゆるいお口もと。スッと通った鼻筋、お上品な耳周り、がっしりとした肩幅、広い背中、筋のかっこいい腕、がっしりとした足腰。

色々なヘアスタイル、ファッション、ケアに挑戦する美的センスも抜群なところ。

こうして改めて書こうとすると、挙げ切れないくらい大好きなところが沢山です。まだまだあります。

大好きだけじゃなくて、ここは少し苦手ってところももちろんあります。古謝くんも私も人間だもの。

だけど、そういう苦手なところも古謝くんの個性って思ってだいすきです。

そんな大好きな古謝くんが輝いていられるように沢山の愛を届けました。沢山沢山応援しました。彼の活躍を見ていられることが、知っていられることが私の幸せでした。

だけど、2017年夏から事務所内で色々ちょっとしたことがあって、古謝くんのいる場所が変わってきました。

本人の気持ちには及ばないし、全部を理解してあげられるわけは無いのだけど、私も、とても悔しくて泣いた日もあるし、正直、2017年下半期は死にものぐるいでチャンスを掴みたくて、だけど現実は厳しくて、古謝くんの活躍を見たい、ステージがあってほしい、その一心で行動をしてきました。

人間というのは不思議なもので、それが続くと段々と義務感が生まれてきてしまったのです。それをしんどいと感じる日も少なくはありませんでした。

それでも、大好きな大好きな古謝くんのために、と見えない希望に向けてお便りを出したり、できる限りのことをしました。

自己満足でしかないことも分かっていました。

それでも、続けないと、古謝くんに会える場所が無くなってしまうと、必死でした。

それが続いて、会えない知らせばかり届いていた2017年は古謝くんが存在しているのに真っ暗なトンネルの中をひたすら歩いているようなそんな気持ちで生きていました。

きっと、きっと、このトンネルを抜ければ明るい未来がある、そう信じてやまなかったです。

2018年 関西ジャニーズJr.は大阪城ホールで単独コンサートを開くことになりました。

いつも付かせてもらっているジャニーズWESTさんのコンサートの横浜公演と日程が被っていたこともあり、どちらに出るのか分からない状態で、新年を迎えても、心は晴れませんでした。

でも、どうか古謝くんの2017年の目標としてあがっていた、大阪城ホールで関ジュで単独コンサートをやりたい!を叶えられる日であってほしいと願って迎えた当日。

夢でしょうか?夢を見ているのでしょうか?古謝那伊留くんの個人団扇が発売されるではありませんか。それに、缶バッジまで…?夢でしょうか。眩しすぎるくらいに世界が眩しかったです。

夢心地のまま会場に向かいました。ふわっふわしていていい年なのに、電車乗り間違えたり乗り過ごしたり、舞い上がっていました。

2018年早速こんなにも明るくていいの?そんな気持ちでした。友人のご厚意で早めに私の手元にやってきた団扇。

なんて嬉しいんだろう、抱きしめて走り回りたい。全世界の人に見てもらいたい!

私の好きな人の団扇が発売されたんだよー!って大声で叫びたい!そんな気持ちになりました。

苦しかった日々のことなんて一瞬で忘れて、本当に幸せで溢れかえっていました。

ちょっと期待をしすぎたこともあり、私は理想が高い人間なので勝手に落ち込んだり、色々とまた勝手に考えたりしたコンサートだったのですが、古謝くんの夢が叶ったことには違いないし、これからツアーだってあるんだ!古謝くんはまだやれる!

それに、コンサート当日の古謝くんの様子だってそうでした、苦しい中もがいてきた先にはまだまだ俺のやれる場所がある、見ていてよ!とでも言わんばかりのがむしゃらなダンス。ビグゲのダンスを私は忘れていません。

外周を走りながらマイクを握りしめて祈るように空を見上げた姿。忘れていません。

古謝くんの明るい未来を信じる。しんどいなんて言わないよ。そう誓った日でした。

ツアーにも福岡から参加させてもらって、今年もこうしてお誕生日をお祝いさせてもらえたこと、そして今年も一緒に楽しいツアーを回らせてもらえることに感謝が止まらなくて、楽しくて嬉しくて仕方なくて。ずっとずっとずっとずっとこの時間が続けばいいと願っていました。

古謝くんがステージに立って笑えているだけで嬉しくて、それを見ていられることが、一緒に過ごせることが嬉しくて。どんな時も古謝くんが笑えば見える景色はキラキラ輝いていました。

毎公演、更新されるかっこいい、かわいい、だいすきを胸に刻んで抱きしめていました。

ただただ、素直に全てが嬉しかったです。

ツアー前半は。

どうしてこうなってしまったんだろう?

会えない時間がそうさせたの?それとも私が勝手に変わってしまったのかな、きっと後者だと私は考えています。

前は、だいすきなオシャレも、古謝くんに会いに行くために自分を磨くことが楽しくて嬉しかった。

だけど、段々と、オシャレをして会場に行くことの方が楽しい、になってしまった。

見ているだけで、一緒に時間を過ごせるだけで幸せだったのに

私を見てほしくて仕方ない気持ちが強くなりすぎてしまった。

古謝くんに見えない可能性の方が高い席では楽しめなくなってしまった。どうしてこうなってしまったのだろう、きっと好きすぎてしまったんだと思う。

だいすきな古謝くんの笑顔を独り占めしたいと思ってしまいすぎたんだ。見てほしい、せっかくオシャレしてきたのに!他にも古謝くんのことを応援している人が沢山いることも分かっているのに、私のことを一番に見ていてほしい!なんて、そんなわがままな気持ちが強くなってしまって。

誰よりも古謝くんのそばにいたい気持ちが強すぎて。

こんなに短期間で人の心は変化してしまうのか、自分自身この感情についていけず何回も自分を責めて、改め直して会場に向かうけど、どうしてもその感情に勝てなくなって、

いつも、古謝くんは最新の古謝くんを届けてくれているのに素直にそれを受け止められない自分が出てきてしまいました。

なんて強欲で最低なんだろう、応援したい気持ちよりそっちが強くなった自分に嫌気しかさしませんでした。

ごめんね、そう謝りたくて仕方なかったです。

別にそうなっても好きなら続ければいい、そう言ってくれる人も中にはいました。

だけど、頑固なのもいけないのでしょうけど私はそれでは嫌で、前のようなキラキラした気持ちでずっとずっと大好きでいたかったんです。

そんなわがままを古謝くんに押し付けてしまうことが悲しくて、そしてこれが普通なのかも知れませんけど、古謝くんより、自分の幸せを願うようになったのならば、もう遠くから応援しよう、そう決断しました。

好きなものをとことん追求しよう。

お洋服とかの知識もセンスも吸収して、今までは古謝くんに認められたくてやっていたようなとこがあったものも、もっとたくさんの人に認められたくて努力できるようになったのなら、それを頑張ろう。そう思うようになりました。

でもそういう考え方をできるようになるなんて、古謝くんに出会う前の私には無理だったことで、古謝くんが教えてくれた強い気持ちを知ったから、私はそう考えられるようになったし、前を向けるようになりました。

自分で物事を判断して、自分の力で輝いていけるようになったんです。

黒い気持ちが濃くなりすぎた今、もう前のようには応援できないけど、いつだって古謝くんの味方です。

それは伝わっていてほしいなあ、とワガママだけどそう思っています。

古謝くんが教えてくれたものを胸に、新しい世界に私は踏み込もうと決断しました。この決断が間違っているか正解かどうか、なんてことは誰にも分からないけど。

仮に違ったのだとしても正解だったことにしてみせます。

私はどこにいたって、いつだってあなたのことを思っていることは忘れないでください。

味方は沢山います。綺麗事にしか聞こえないかも知れませんが、心から、そう思っています。古謝くんに、輝かしい未来が待っていますように、と。

古謝那伊留くん、本当に本当にありがとうございます。

あなたに出会えて、私は強くなり、そしてとても幸せです。

本当に、心の底からだいすきでした。そしてだいすきです。

これからは遠くから、古謝くんを応援させてください。

古謝くんが描く夢が叶いますように。

古謝くんが笑顔でいられる場所が未来で沢山待っていますように。

古謝くんは私を明るく、照らしてくれる太陽でした。

古謝くんがいなければ輝けなかった私は、月でした。

これからは、自ら輝ける人間になるから。

距離は遠くなってもお互いに頑張ろうね!

沢山の気持ちを教えてくれてありがとう。

本当にだいすきだよ!

今まで、ありがとう。

次に会うときはお互いとびきりの笑顔で会えますように。

お互いがお互いにパワーを与えられる人になっていますように。

本当に、本当にだいすきだよ。