햇살같은 널 좋아서 그래

しがないオタクの、想いを綴る場所です。

365日の、陰と陽

突然ですが次に私が更新するブログの前置きとして、この1年を振り返りたいと、思います。 この1年で古謝くんを応援している私がどのように感じていたか、を覚え書き程度に振り返らせてください。 担タレなのでものすごく長くなります。

本日2018年7月20日古謝那伊留くんがかんじゅ日誌を更新しました。そこに記されていた彼の気持ちを受けて私がやりたいと思ったことは、とにかく思いをここにぶつけることだったので、破茶滅茶な文章になると思いますが、心のままに綴らせてください。 まずは長編大作となる、ただの記録です。一番伝えたいことは次の記事に書きます。

本当に、今日、ちょうど1年前って何をしていたっけ?なんて考えていたのですがちょうど1年前は関ジャニ∞さんのドームツアー ジャムの大阪公演の初日でした。

ジャムにツアーバックとしてつかせてもらうことがはっきりと分かったのは、ツアー初日7月15日でした。

前々から噂はあったものの、今更またジュニアをつけるのだろうか?など各所で疑心暗鬼の声があがっていたし、これはファンのエゴなのですが松竹座で会いたい気持ちが強くあり、噂であってほしい……と思っていました。

でも実際本当にポスターにはいないし、ツアー1週間前には新大阪駅での遭遇もあり、ああ、本当なんだなとどんどん真実が見えてきたので受け入れるしか、ないよね。

そんなふうに考えていました。

1年前、京セラドームに色々な気持ちを抱えて向かった日のこと、すごく覚えています。でもやっぱりどの気持ちよりも大きかったのはだいすきな古謝那伊留くんに会える、というドキドキとワクワクでした。

今も覚えているのは、関ジュが出てくる前、MCが終わり 関ジャニ∞の皆さんが 奇跡の人 を歌い始めた時すでに私の心臓は高鳴っていたこと。

ツアー中もよく友人に話しては笑われたのですが、この曲が始まり、後半に向けての諸注意の映像が流れ始め、JAM LADYが始まるまでの時間はまるで 校舎裏に好きな人を呼び出して人生初の告白をする くらい心臓が破裂しそうだったんです。

いや、人生においてそんな経験一度もないんですけど、例えるならこの状況がベストだと当時の私は思っていましたし、今もそのような感覚であると思っています。

話が脱線しました、失礼しました。

正直、私は 古謝くんにとって毎年夏に松竹座に立てることっていうのは彼を構築する自信の柱のひとつだと思っていたので、そこを離れて仲間たちと別のステージに立つということに対して、漠然と不安を感じていました。

でも、どうでしょう?JAM LADYのイントロが流れて舞台の上手から出てきた水兵さんの衣装に身にまとった古謝くんは私の想像の何倍も、いや、何百倍も輝いていて夏の太陽も顔負けの笑顔でステージに立っていました。

ああ、これ、これだよ!この姿に会いたかったんだよ私は!

ただただ、嬉しかったです。

これなら松竹座に立てなくても仕方ない。だって最高に大きな輝ける舞台じゃないか!全然不安なことなんてないし キラキラ輝く未来しか見えないし、なんなら 今が大事じゃないか。そう思わせてくれたのがその日、私が見た古謝那伊留くんの姿でした。

もっともっとこの姿を見ていたい。素直にそう感じることができたし、最高の夏を古謝くんと過ごしたい!それ以外に思うことは何もないよ〜なんて思ったし、死に物狂いでチケットを探しました。

私のオタク人生であそこまで必死にチケットを探したことは初めてでした。毎日チケツイを見て、チケツイをして、数え切れないくらいのリプやDMを送って。

こんなにも本気にさせる古謝くん、最強だなあ。大好きだなあ、なんて最高にフワフワしていました。

大阪で見た姿は、新鮮でキラキラしていてかっこよくて。名古屋で見た姿は、ここに立たせてもらえるありがたさを再度噛み締めちゃうくらい温かくてふわっとした笑顔に包まれていて、東京で見た姿はギラギラに熱くて火傷しそうで、福岡で見た姿は夏の終わりを感じさせながらも大嫌いだった夏を大好きにさせてくれた、この夏の思い出全部全部がぎゅぎゅっと詰まったような、弾けるものでした。

ジャムのツアーバックとして全国を回る古謝くんの笑顔は見るたびに輝きを増していて、ジュニアだけの時間を設けてもらい、その時間を使って各々の個性全開で客席のボルテージをあげる姿は誇りでした。

そしてこの夏で忘れてはならないのは、エイトバックのメンツで出させていただいたA.B.C-Zさんの5周年コンサートの大阪公演です。

去年、ダンス留学へと行っていた同じ関西ジャニーズJr.の先輩、林真鳥くんが帰ってきて、最初の夏だったこともあり、勝手にこの夏には期待していたところがありました。

真鳥くんはどんなスキルを身につけて日本に帰ってきたんだろう?真鳥くんからどんなことを教えてもらっているんだろう?期待に胸を膨らませて向かった大阪城ホール

そこで見た古謝くん、そして仲間たちのダンスは圧巻でした。いつも、見るたびに、少しずつでも成長していっている事がわかるのが、私の大好きな古謝くんだったのですが、素人目で見ても、とびっっきり上手くなっているのが分かる素晴らしいダンスでした。息をすることも忘れて、ただただ見入ってしまったし、終わった頃には興奮で胸が熱くて熱くて……

えっ、こんなにもかっこいいダンス、ここにきている人しか見れないのはもったいない。全国とは言わなくても、松竹座に来て関西ジャニーズJr.を応援している人たちには絶対に見てもらいたい。

心からそう思いました。

秋は、長居競技場で行われた陸上大会にて炎の体育会TVの収録があり、そこで上田ジャニーズ陸上部の注目選手としてまたバトンを握る姿に胸を打たれ。

次の機会までにダメだったところを練習して、勝利を掴みとってほしいなあ……なんて考えたりして。

冬はどんな姿を見せてくれるんだろう。冬は格段にレベルを上げたダンスを松竹座に持ち帰って、寒さなんて吹き飛ばすステージを見せてくれるんだろうか……

こんな曲やったらかっこいいんじゃないかなあ、こんな曲やったら嬉しいなあなんてまだ分からない12月のことを考えながら松竹座公演のお知らせを待ちました。

2017年10月6日 夕方

遂に、その時は来ました。

『関西ジャニーズJr. X'mas SHOW 2017』のお知らせ。

過去に戻れるのなら、輝かしい冬のお知らせだよ〜嬉しいなあ、なんて考えてウキウキしながらメールを開いた私に 覚悟すること と教えてあげたいです。そんなの甘えなんですけど。

メールを開いてびっくりしました。公演ごとに出演者が違うことも分かる。そしてその公演に出る主な人物の名前も分かる、分かるんだけど、ありそうなところに大好きな人の名前がない。

メール本文の隅々探しても見つからない、そんなはずない、そう思って情報局にログインして公演詳細にもアクセスしました。ない、ない、ない…………

目が回る っていうのはこういうことを言うんだ、って体感したのはこの日でした。目を開けてまっすぐ座っているのに、視界が、世界がぐるぐると回っている感覚でした。悔しくて悔しくて、悲しくて、涙が止まりませんでした。

でも、一番辛いのは本人だ 古謝くんを応援したい、辛い時こそ支えたい。私なんかの思いが、どれほど力になるかなんて全然分からないけど、私だけでも前向きでいないと。そう思って自分の弱い気持ちを奮い立たせました。

もしかしたらいるかもよ?なんて冗談めかしてお話ししたりして。

メールを受信したあとはチケットを申し込んで、その時を待つばかりでした。

それに、同じ時期にジャニーズWESTさんのツアーも発表されて、そこではきっと会えるんだから、そう言い聞かせていたし、それが支えでした。

でも、人生そう甘くはなくて、松竹座公演の当落が出て、チケットを手にして待っている最中あるメールが来たのです。

『関西ジャニーズJr. Concert2018 決定』

なんと年明けに大阪城ホールで関ジュの単独公演をすると……

嬉しかったです。だってそれは大好きな古謝くんが2017年の目標として挙げていたものの1つだったから。

でもどうでしょう?日程がジャニーズWESTさんの横浜公演と被っているではありませんか!

頭が痛くなりました。心が苦しくなりました。

前を向かないと、そうは言っても不安な気持ちが消えた日なんて1日も無かったし、辛いと感じていました。

そんな中、心の拠り所だったのはジャニーズWESTさんのツアーという場所だけだったのです。

だから、その希望の場所すら、出るのか出ないのかどっちなのか分からないなんてそんな苦しいことはなかったですし、本当に毎日見えない未来を見て過ごすことが辛かったです。

自分の目で確認したい、その思いを胸に向かった松竹座兄組公演初日。きっとそうだろうなんて思いながらも、やっぱり淡い期待は捨てられずにいたから、実際に幕が開いて、本当にいないんだってことを理解することに時間がかかったし 理解してからは、楽しいはずのコンサートが苦しいだけの時間でした。逃げ出したい、どこかへ消えてしまいたいと思ったりもして。

この曲に古謝くんがいたら……?そんな考えが止まらないし、いないと分かっていても姿を探してしまって苦しかったです。

次世代公演にももちろんいるわけはなく、そのまま12月は進んでいきました。

私でさえもこんなにも悔しくて仕方ないのだから、本人はきっとこれ以上の気持ちを抱えているだろう。どんなことを感じているのだろうか。苦しいだろうか。

誰に聞いても出ない答えを探し、真っ暗なトンネルの中で彷徨っていました。

でも、少し答えが見えた気がしたのは、古謝くんが次世代公演の見学に現れた時です。兄組は行かなかった、ということは何か思うことがあるのだろう。そう感じました。

その感じた何かを、胸にしっかり刻み、どんなに今が苦しくても輝かしい未来を描き、努力し、掴み取ってほしい。そう願いました。

年は変わり2018年。新しい1年が始まりました。正直、こんだなに苦しくて悲しい気持ちを抱えたまま見る新しい日々なんて全然楽しみじゃないし、気持ちが重かったです。

でも、その日はすぐにやってきて、あっという間にあけおめ初日当日になりました。前回の記事にも書きましたが、こんっなにも明るい世界が待っているなんて思っていなくて、ああ、信じてきてよかった。嬉しいな、幸せだなあ!あけおめなんて楽しみじゃないと思ってたけど、早く始まってほしくてたまらないなあ!なんて思ったし

元どおりに、笑えて、だいすきな古謝くんのお話をできていることが嬉しくてたまらなかったです。

でも期待しすぎていた私は、5人の写真が大きくモニターに順番に出た後に3人まとまった写真を出された時、既にすごく悔しかったです。どうしてこんな纏められ方しなくちゃいけないの?そう思いました。

でも、いざステージに古謝くんが現れたら、最初はなにも気にならなかったし、9月ぶりに見るだいすきな人がかっこよすぎて胸がぎゅうっとなって高鳴って。幸せだなあ……そう感じていました。

出番少ないなあ……そう思ったりしたし申し訳ないけど古謝くんが全てだった私にとっては暇だ、と思う時間が多かったです。次はいつ出てくるんだろう?なんて考えて。MCなんて飾りのように立たされてるだけ。

古謝くんは、みんなの会話を聞いて反応したり細かい芸を見せて楽しませてくれようとしてて、かわいいけど、その気持ちが嬉しいけど、なんっにも楽しくないのにって思ってしまった。古謝くんの声も聞きたい。そう思っていました。

正直本編全部通して、満足するとこなんてほぼなくて、ついさっきまでは会いたい気持ちだけでいっぱいで、会えたことだけで嬉しくて幸せで胸いっぱいだったのに、始まって時間が経つとそうやって考え出してしまうことが苦しかったです。

でも、その中でも、10人が見せてくれたノスタルジアとDance in the darkは本当に本当に本当にかっこよくって、贔屓目しか無いのかもしれないけど、正直全部の中で一番かっこいいパフォーマンスだったと感じました。

そして、古謝くんが経つ場所があるなら見届けたいと思い、全公演古謝くんのことを胸に、記憶に焼き付ける、そして古謝くんが魅せてくれるものを全部で受け止める。それだけのために行こうって思いました。

初日はまだ、そこまでモヤモヤもなく終われたのですが、次の日の昼公演を見てその気持ちは変わりました。

最初の曲から古謝くんが全然踊らないんです。なんで?昨日は踊ってたのに、どうして?

ただ心配で、不安で、苦しかったです。この一晩で何を思ったんだろう。実際ステージに立ってなにを感じているのだろう?

ついに視点が定まらなくなりました。カメラではないどこかを見ていて、見せ場ですらどこかへ行ってしまいそうな儚さがありました。でも力強さも感じる………

余計なことを考えないようにしているのだろうか、と、有る事無い事考えてしまうくらいがむしゃらに踊り、ステージを駆け回る姿も見て、ぎゅうっと目を瞑ってマイクを握りしめて祈るように歌う姿を見て、古謝くんがきっと、何かたくさんのことを考えてそこにいるんだ って事だけはバカな私にも分かりました。

あけおめが終わった後は、気持ちも晴れず、何もかもが嫌になり、辛くて。何もできないことがもどかしくて。

光が射したと思ったのに、また振り出しかな……なんて考えたりもして。

でもそんなこと言ってられません。すぐにWESTivalツアーの福岡公演はやってきます。横浜で代わりとなる関東の子たちを付けてくれたのでその希望はありました。むしろ、その時の私にとってはそれしかなかったです。

いざ迎えた、当日。その日はとても大切な日でした。

古謝那伊留くんの24回目のお誕生日でした。

素敵な日なんだし、きっと会えるんだし、不安な気持ちなんて捨てて今日を楽しもう。そう思ってはいても、ついマイナスに考えてしまうし、会場に向かうタクシーなんて緊張のしすぎで、もう息を吸ってんのか吐いてんのかも分からなくなっていました。

公演が始まって、二曲目の浪速看板息子が始まる前、祈りを込めて団扇を握ったことを覚えています。

肉眼でメインステージを確認できる場所にいたのですが、曲が始まって、お神輿を担いだだいすきな人のシルエットが暗闇の中に現れた時は言葉に表せないくらい嬉しかったです。

そしてその瞬間、古謝くん以外の全ての世界がシャットアウトされたみたいになって、古謝くん以外誰がいたのかすら分からなかったことを覚えています。

嬉しそうに笑いながらステージを駆け回って、全力で踊って楽しませてくれている様子を今も忘れることができません。いや、きっと、ずっと忘れません。

重岡くんが最後の挨拶で、

「早くみんなでツアーやりたかったよね?!」と言いながらステージを見渡した時、古謝くんは首がもげちゃいそうなくらい勢いよく何回も何回も頷いていました。

そして本当に今この瞬間が嬉しいんだ、その気持ちが伝わってくる眩しい笑顔で笑っていました。

言葉はなくても、それが彼の胸に秘めていた大きな大きな気持ちだったんだと思います。

その後、更新されたかんじゅ日誌で古謝くんは、さまざまな舞台の見学エピソードなどを話してくれましたが、松竹座の公演について触れなかったり、あけおめの事も話してくれましたがあけおめに関して「楽しかった」とは言わなかったのに対して、ツアーは「すごく楽しい」と話してくれた事から、正直だなあ。と感じたりしていました。

でもそれを感じられたのはそれを読んだ全員ではないと思いますし、ちょっと遠回しだと思ったので、素直に言葉にしてもいいんだよ。とも思いました。

ツアー中の彼らが眩しすぎて、ちょっと平和になりすぎていた私の気持ちをかき乱す出来事があったのが、4月の頭です。

情報局から届いた 滝沢歌舞伎 御園座公演のお知らせ。

そこには関西ジャニーズJr.の出演のお知らせと共に、選ばれた6人の名前が記されていました。

悔しかったです。古謝くんもきっと、そのために黒く染めたんだろう、みんながそう思ったと思います。

でも、選ばれなかった。もう決まったことだし、私たちにも、そして彼にもどうすることも出来ないけど、どうしたって悔しくておめでとうなんて言えなかったです。

まだまだ子供なので、この一年、他の子たちを応援する友人たちにも心からおめでとうを伝えられたことがないです。本当に本当に悔しくて仕方なかったんです。

それと同時に、古謝くんにも活躍する場所はまだまだあるはずだ、だけど滝沢歌舞伎はその場所ではなかったんだ。どこかできっと、絶対、古謝くんにしかできないお仕事をつかみ取れる、そう信じる気持ちも生まれました。

その後すぐに、ツアー広島公演があったので古謝くんが元気かどうか、心配でした。古謝くんは良くも悪くも全てお顔に出るタイプなので、作り笑顔を見るのは辛いなあと思いましたし、当日本人を見るまで心配は無くなりませんでした。

でも、その心配とは裏腹にすごく楽しそうに笑っていたし安心したのですが、最後の挨拶で末澤くんに対して歌舞伎おめでとう〜との言葉があった時、古謝くんから笑顔が消えました。

瞬間の出来事なのですが、見逃しませんでした。気持ちが悪くてごめんなさい、でも大好きなんだもん。当たり前に心配します。

悔しかったね、悔しいよね、頑張れ、チャンスを掴もう。

古謝くんなら大丈夫だ。

そう信じていた最中、ツアー中2つ目の悲しい出来事が起こりました。5月発売の前半誌の詳細が出た中に、古謝くんの名前がありませんでした。

正直、この不安定な状況に置かれてからは雑誌が支えなところがあったので、心の安定剤が無くなったような感覚になりました。大丈夫、大丈夫。そう思わせてくれていたものが無くなって、ぽっかりと心に穴が空いたようで。

涙が溢れて止まりませんでした。

そして迎えたツアー最終日。前回の記事にも書いたように、古謝くんを応援するには必要のないような黒い、よくない気持ちを抱えていた私がそう願うのもおかしな話かもしれませんが、終わらないで、と何度も願いました。

でも終わってしまったツアー。

雑誌もラジオもない。5月31日の日誌以外で古謝くんを知ることはなかったです。

見学や遭遇情報でしか知ることができなくなりました。

6月にはそれすら減ってきて、出ていてほしい。そう願った人も多かったであろう、キスマイさんの京セラドーム公演にも出ることはなく、見学にも訪れませんでした。

どこにいるの?元気にしているの?

どんな思いでいるの?毎日不安で心配で、かんじゅ日誌が回ってくるのかも分からず、毎日頻繁にwebを確認しては古謝くんのことを考えました。

そんな日々を過ごして、勝手に苦しく思っていたのですが、ついに、本日、古謝くんの日誌の順番が回ってきました。

そこで、私がどう感じたのかは、次の更新でお話しさせてください。すぐにお話しします。

とても長くなりましたが、これは、1人の古謝くんを応援するものがこの1年間何を感じ、どう過ごしたかを思い出した順につらつらと書き綴ったものです。

読んだからといって何か起こるわけでもないです。ただ、こう感じていた、ということを残しておこうと思った。それだけのことです。

長々と失礼しました。