햇살같은 널 좋아서 그래

しがないオタクの、想いを綴る場所です。

スキや趣味は義務教育でしたっけ?

ご無沙汰しております。

 

さて、いきなり皆さんに疑問をぶつけますが、

好きって、義務教育でしたっけ??

はたまた、

趣味としてアイドルを応援することって必修単位で落としてはいけないものでしたっけ?

 

春だからなのかな、私生活の面で新しい環境に居るからなのだろうか?

 

 

私は以前からずっと応援している子がいます。

その子と見ている景色はどれもいつもキラキラで輝いていて、どんなに辛いことがあっても一緒に前向こうと思える。そんな大きな存在でした。

 

その子が苦しい顔をすれば一緒に苦しくなり、悩んで、泣いて。

その子が笑えば一緒に笑って、うれしくなって、うきうきする。

 

それを当たり前と思って生きてきましたが、前者の気持ちに支配されて日々が輝かないことって、普通なのでしょうか?

私は生きてきてそのほとんどをアイドルを好きでいる日々で過ごしてきたのですが、ここ2年間の間にこの苦しさにとらわれる時間がものすごく長くなりました。

 

応援している子が笑わないからって苦しくなって、でもそのあとのお仕事で笑っていたからうれしくなって。まだ一緒に未来を楽しみにしたいと思っていました。

 

でも、思うようにお仕事が回ってこなくて、もどかしく、悲しい日々が訪れたとき。

私たちは本人から発せられる言葉でしか、状況を把握できないんですよね。

だから本人が元気と言ってくれないと、元気でいるのかわからないし、本人次第で生きています。

 

ちなみに、ジュニアだったとしても、アイドルです。

アイドルだって人間だったとしても、アイドルとして輝き周りを照らすことが仕事なのではないかと思います。私は。あくまで個人の見解ですけど。

 

ちなみに改めて意味を知りたくて検索したんですけど。

アイドルって偶像という意味の単語で、日本の芸能界では「アイドル」とは

成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物 だと定義しているそうです。

 

 

 

 

ふむ。

だとすると、余計に私の抱くもやもやとした 気持ちは間違っていないのかも。と思ってしまうのですが・・・

 

え、アイドルって自分に何にも仕事がないのを なんもないからな~~~~~ってアピールしていいものなんですか?

私が応援してる子は、昨年夏に自身のブログでそのような内容を残しました。

 

更新されたと知って、楽しみにして開いたものの苦しくなって終わりでした。

悲しくて、切なくて、何ができるかまで考えて。

同じような立場である仲間のブログは「陽」でファンを照らそうとする気持ちが前面に出ていたのに対して、私が応援する子のブログの内容は「陰」でファンの心をも、曇らせて影を残してしまうような内容でした。

 

よくも悪くもとても正直な人なので、そうやって文章にして私たちに知らせてきたことも、許容範囲ではあります。

ケド、今冷静になると それって普通のことなのかな?いや、普通ってなんなの?と思うんですけど、でももし仮にアイドルとして周りの人を笑顔にしたい気持ちがあって。

ほかに発信する場もないのであったら、そのブログでファンを笑顔にしたいと思いませんか?

他愛のないことでいいから、身の回りのことをお話ししてほしいし

昨日見たきれいな空、最近観た映画、気になること!なんでもいいから教えてほしいと思ってしまうのもファン心理の一つなんだと思うからこそ。

 

心の中の、頭の中のウ~~~~~~~ン????はどんどん膨らんでしまうのです。

 

 

秋、冬、そして先日まで行われていた滝沢歌舞伎まで、休まることなくステージに立ち続けて来られたし、本人もファンも忙しく充実した日々を過ごしてきました。

 

その中で、様々な変化はあったし きっと各方面で皆が異なった感情を抱きながらも輝いていた日々だと思います。

ありがたいことに、オフショットの発売、毎月の雑誌、メディアでの露出もどんどん増えていき・・・次に見る景色はどんなに素敵なものなんだろう??素敵な未来に夢膨らませて。

彼も、このお仕事してほしいな。新たに誕生したユニットに選ばれた仲間、そしてライバルたちの目まぐるしい活躍にうらやましさを感じたりもしながら、ただ信じていました。

 

でも、きっと彼ならその景色を、喜びをもたらしてくれる!

一緒にその景色を私たちも見ることができる。

 

だってほら、今まさにこの瞬間新しい成長した姿を見せてもらえてるんだもの。

そう思っていた2月、新しいユニットが誕生しました。

その中には私が勝手にこれからも目指すものも、立つ場所も同じだと思っていた人たちもいて正直理解が追いつきませんでした。

 

おめでとうと素直に伝えられないのには、理由があって。その発表があって1番最初に頭によぎったのは「彼がまた落ち込んでしまわないか」という不安の感情でした。

 

でも、その時期彼には活躍できる場所があったし悔しいだろうけど、きっとまた新しい場所に連れて行ってくれる。大丈夫。

そう思いました。

 

正確にはそう、思い込んだ。言い聞かせたというのが正解なのかもしれません。

 

今思うと、そこからの私の行動は今まで以上にヒートアップしました。

書いたはがきの数は今まで以上だし、メールの数も。彼のグッズを購入する数も頻度もどんどん増えて。輝ける場所を残していくため、これからもたくさんの景色を一緒に見るため。

必死でした。

きっと今、彼ももっと上を目指すことを考えている。大丈夫。ついていく。連れて行ってくれる。

 

 

 

そう信じることができたのは、アイランドTVにアップされた最初の映像まででした。

 

 

3月に入り、松竹座では今年も春の公演が始まりました。3ユニットができて最初の公演だし、漠然とした不安は始まる前からあったけど。

 

けど、お譲りいただき予定より早く私的初日を迎えた3/10

 

松竹座で待っていたのは、眩しすぎるくらいの笑顔でステージに立つライバルたちと

 

曇った表情でステージに立つ、大好きな彼でした。

今からショータイム、どんな姿が見れるのだろう??

 

わくわくしながら迎えた一曲目から彼の表情に笑顔はありませんでした。

どうして?悔しいから?なにかあった?

わかりません。本当の理由なんて彼自身にしかわからないから。

 

だからこそ、それを見た私たちファンは正解なんてどこにあるのかわからないけど不安な気持ちで正解を探してしまう。そんなもんなんです。

一瞬にして苦しくなって、怖くて。誰のせいだとかそんなのないはずなのに誰かのせいにしたくなって。

 

気持ちを整理したくても周りは止まってはくれません。待ってくれるわけもない。

その後もどんどん進行していくショーに追いつこうと必死で見つめた先にはこれからの未来にぎらぎらと想いを向ける6人の姿。

 

真意はわからないけれど、そこで何かの糸がぷつんと切れたかのように涙が止まらず、ステージをまともに見ることができませんでした。

 

それでも信じたくて、暗いものは全部ウソだと思いたくて待った彼の出番。

 

ファンと一緒に楽しむ曲でも、関西らしいハチャメチャした曲でも。

その日、彼の笑顔を見ることはできませんでした。

 

 

その代わりに見ることができたのは、客席に向けて手を合わせた彼の姿。

ごめんね、まるでそう言っているのが聞こえてきそうなその姿。

 

 

恐らくこれから先あの姿を忘れることはないし、その姿を見て思ったのは「私は何をしてあげられるの?どうしたら君の笑顔に会えるの?」ということでした。

 

この日から私は、きっと彼ならその先へ連れて行ってくれると信じていた気持ちも失ったし、私自身彼のことを考えてうきうきすることなんてなくなりました。

通勤電車の中でも、お昼休みも、ていうか暇さえあれば

 

どうしたら笑顔を見れる????

 

この気持ちで頭がいっぱいで、今までやったことのない分野にも手を出して。まずはこの春だけでも楽しく過ごしてほしいという思いを胸にいろんなことをして過ごしました。

 

公演に入ることのできない日は少しでも様子を知りたくて、どうだった?と、公演に入った知人に聞いてみたり。

レポを検索して少しでも彼の名前を出してくださる方には、質問してみたり(その節はご迷惑をおかけしました。)etc.....

 

皆様が親切丁寧にご回答をくださるので自分自身で見に行くことができなくても様子を知ることはできました。ありがとうございました。

でも、どの方にお伺いしても彼の笑顔は松竹座にはなくて。その一瞬でしか彼の様子を見ていない方ですらも感じる「陰」

 

次に私がこの目でその様子を見ることができるのが17日だったので、その日までは気が気じゃなかったです。

正直、悲劇のヒロインのような態度をとってしまったこともありましたし、お友達に会ってもうまく笑えなかったり、心配するということに憑りつかれた様な日々を過ごして。

 

これって、普通じゃないですよね?????憑りつかれながらも、うっすらと私自身も感じました。

 

これって、私が生きる人生における趣味であって、楽しい!うれしい!を感じるための、辛いことがあっても頑張るための娯楽の一つであって。こんなにも苦しくて辛くて、趣味なのに私自身でなく誰かのためにお金を「義務的」に使うことっておかしいな?と思ったんです。

 

だって、お写真ほしい!売れたい!という気持ちでなく「買わなきゃ」「買ってあげなきゃ」「~しなきゃ」の気持ちで趣味の時間を過ごすことってちょっと変だなと思ったんですよね。

 

そう思いながらもおろしたお金で買い足したフォトセット。このフォトセットを買ったことを後悔するなんて思いませんでした。

 

公演自体、ものすごく楽しくて。10日は悲しくて苦しくてほとんど感じられなかった楽しいがそこにはたくさん待っていて。コントでは彼の笑顔も見れたし、ショータイムだってこの間に比べれば全然元気そうで安心しました。

 

じゃあ、なぜフォトセットを買ったことを後悔したかって?

 

この日は、全体をしっかり見たのですが彼と同じ立ち位置にいる仲間たちは比じゃないくらい眩しい笑顔を客席に向けてくれていたし、煽り曲になると前へきて目が合えば手を振り全身で一緒に楽しいを共有してくれている姿を見ることができたのです。

 

そのほかの皆もそうでした。楽しんでいるのが伝わってくるし、その時間を共有してくれて。

 

これを見て、私は思いました。もし苦しくても、何かあったとしても彼らは仕事としてこの舞台に立つことを選らんでくれた人たちだし、今もこの舞台に立つことを選んでいるのならここへ来てくれているお客様を、ファンの皆を楽しませようと思ってくれるべきなのではないか?と。

 

なぜ、彼が笑わないからって悲しい顔をしなくてはならないの?いや、それは好きで応援していたらそうなるものなのかもしれませんけど。

 

そして何より思ったのが、どれだけ私たちファンが要望を出したり売り上げの数を証明するために頑張ったところで

 

彼自身がこのステージを楽しんで、ぎらぎらした瞳で上を目指してくれないと意味がないじゃないかと思ってしまって。私たちはあくまで彼が夢を掴み輝くための「踏み台、きっかけ」を作るために要望をだしたりアンケートに答えたりお写真を買っているので、本人ががむしゃらに頑張ってくれないと意味がないし。

 

そもそもその場を楽しめるかどうかって当人の問題であって。

たった2回しか見てないから分からないですけど、今月わたしが目にした彼には何かを掴もうとか、絶対に俺が楽しませてやるという気迫を感じることができませんでした。残念ながら。

 

 

ここからの後半戦、そうではない姿を見せてくれるのなら一緒にこれからも楽しみたいけど今のような姿でステージに立ち続けるというのなら、私のフォトセットへの後悔はずっと後悔のままです。

 

 

どうか、ここから先燃えるようなやる気を感じさせてほしいし、どんな理由があってもプロなんだから そんなにわかりやすくしないでほしい。ステージだけじゃないよ。動画の中だってそう。

キラキラした表情で私たちにこの人好きでいて、応援していてよかった~~~~~~!!!!!!そう思わせてよ!

 

あなたにとっては何回もあるうちの1回だとしても、私たちにとっては1回がとても大切です。そのたった1回のステージで大好きなアイドルが笑ってないなんてそんな悲しい状況、悲しくなるにきまってるじゃないですか。

 

 

どうか、どうか笑ってよ。その瞬間だけでも楽しませてよ。お願いです。

 

ずっと誇りであってよ私たちの。大好きな、古謝那伊留くんでいてよ。

 

 

 お願い、ずっと太陽のような古謝くんでいてよ。